前回のプロセスは少し悲観的すぎる内容だっただろうか?
ブログを読んだある方から、「活動に行き詰っているのか、悩んでいるのか」と心配されてしまったからである。 あらためて公に何かを書くことの難しさを感じた。なのでもう一度あの文章で自分がいったいなにを言いたかったかを詳しく書きたい。
まずプロセスを書くことについて。
これからブログは不定期でマイペース、特に書きたいと思ったときに書くべきと考えていたこと。
ブログが単なる自分の名前を広げるための宣伝活動になっていたらいやだと考えていたこと。 書きたいとおもう内容があっても、それはただ思うがままに書連ねていては良くないとおもっていたこと。 それならばいくら書きたいと思うことがあっても、自分にとっては書かないほうがマシだということが言いたかった。
自分の言う灯火とはなんだろう?
それは自分の存在のことや、自分の音楽家としての存在のつもりで書いたのではない。
あえて言うなら、灯火とは自分がこれは正しいと思う感覚?つまり正義感のようなもの?
正しい道を行きたいと思う気持ちだとか?そんな大げさなものじゃなくて、やってることに嘘つかないだとか? 自分が好きで選んだ道なのだから、つまり自分のやってることにはちゃんと責任を持って取り組みたいと思っていること。 その責任とは、純粋な取り組みとかいえるかもしれない。それを自分の中にある灯火と表現した。
醒めてしまったものとはなにか?
今の自分の周囲には、残念ながらこの灯火をもうすでに消してしまっている人が多い。
または自分と同じようにその灯火が消されようとする瞬間だったり、
もう消えてしまっているのにまだ灯火があるフリをしている人だとか? ・・・
灯火が消えてしまうことは、とても悲劇的なことなのに、そのことにだれも注意を払わず、 ここでは大したことではないと淡々と処理されてしまっている。もしかすると 灯火すらまったく見えないくらいその目は退化してしまっているのかもしれない。
そのような状況に醒めてしまったのかというとそうではない。
醒めたのはあくまでも他人に期待すること、
裏を返せば、まずは自分自身で、たとえ一人ででも進んでいかなければならないということ。
そして最後に廿日市市の文化レベルに対する批判は書かなくてよかったことなのかもしれないのだが、それでもあえて書いたのは。
それはその灯火が消えてしまうのを防ぐためでもあるけど、
だれも何も批判的なことを言わなくなれば、状況はさらに酷くなってしまうからというのもある。
批判は皮肉として、すこし抽象的に対象を曖昧にしているが、分かる人にはすぐに分かってもらえると考えた。
最後の一文は、それでも自分のやろうとしていることは、協力者なしではなりたたないということへの認識。 以上が前回のプロセス(風前の灯し)の内容に関する補足説明である。
さて次に、前回のプロセスを書いたときの感情面を述べるなら、
自分は落ち込んでなどいなかった。
むしろ何かに対する抵抗感や違和感で興奮していた。
でもそれを感情的に表すのではなく、その感情を自分の中で長く維持し続けたい。
そんな抵抗感や違和感はいったいどこから来たのか、またその理由は何かを考えた。
その結果があのような悲観的で批判的な文章になったのかもしれない。
それと自分の活動や状況についてのフラストレーションで書いたつもりはない。
現状まったくアピール性のある音楽活動をしていない、プロセスの更新がいっこうに伸びないでは、
「だいじょうぶ?」と思われてもしかたないだろう。
もうすこし上手い書き方ができればよかったのだろうけど・・・
ある目的に向かって。
今自分はその目的へ向かって順調に進んでいると考えている。
今後の活動についての構想も十分に練っている。
焦らずマイペースで。
大きな仕事であればあるほど、
ゆっくりと慎重に時間をかけるべきなのだろう。
実はそのように心配していただいた方から大きな援助をいただいた。
まるで闇夜の灯火。
このような自分を心配し、また応援してくれることを、
心から感謝したい。
9月も今日で終わる。
しばらく書いていなかったプロセスを書かなければとパソコンに向かう。
何を書く?
書きたいことはたくさんあるけども、
それが、頭に浮かんでは消えて、
また浮かんでは消える。
そうしている間に、考えが別のほうに移ってしまう。
だから文章をまとめる前にデータを消してしまう。
結局書くほどのことでもないと思ってもう諦める。
いっこうにブログ更新が進まない。
いつ止めてしまっても不思議ではない。
いまにも消えてしまいそうなかすかな灯火を、
決して消さないようにただじっと風を遮ることに集中をかたむける。
この灯火を消してしまおうと、だれかが横から大きく息を吹きかけてくるかもしれないけど・・・
応援してくれる声も聞こえるには聞こえる。
今自分のなすべきことは、たしかにその灯した明かりが消えてないかを確認し、
それでもじっと風を遮ることに集中するだけ。
なにかに冷めてしまったこともある。
理解されるために努力すること?
たとえば自分の音楽や表現を理解してもらうために何らかのアクションを起こす。
いままでずっとそんなアクションに自然と肯定的だった。
だけど今はそのようなアクションに意味を感じない。
だれに対し、何のためにアクションを起こすのか?
できるだけ無意味なアクションを起こしたくない。
日本にもどってきたとき、いくつか努力しようとおもったことがあった。
それはここ広島廿日市から自分たちの文化を外に向けて発信すること。
この町に住む人たちとともに文化を育むこと。
そして最終的に自分自身が本当にすべき仕事を見つけ、それに尽力をつくすこと。
この場所から始めることこそが、私にとって本当の意味でのスタートなんだと信じていた。
だけど日本に戻ってきてどうだろうか?
幾人かの共感者とは出会えたが、ここには誰もいないし、何もない。
探せてないだけでは?
そうかもしれない。
ともに何か意味のあるアクションを起こせるのだろうか?
本当にそうだといいのだが。
だとしたら、目の前の冗談に戸惑うばかりだ。
プロオケを使った時代錯誤の民族フュージョンミュージック。
お花畑のお嬢様風演奏家。
演奏家とは名ばかりで、何でもやりますの便利屋さん。
いい加減うんざりの、聞きたくもないのに繰り返し流れるスーパーの宣伝オリジナルソング。
まるでそんな感じの、なんとかなんとかのための創作曲募集など、もういい加減無意味な音楽は垂れ流さないでほしい。
音のことでいうなら、もっと静寂と豊饒を求めてほしい。
それは限りなく不可能な、高度な要求なんだろうか。
ここでやろうとしていることは、一人では成し遂げられない。
晩夏、8月が終わる。
日本の夏、広島の夏は暑い。
特別、去年の夏の暑さは異常だった。
ドイツの過ごしやすい夏になれていたために、
何年かぶりに体験した去年の日本の夏に、
「もう二度と日本の夏はごめんだ」
とも思ったりもした。
今年、そんなふうに考ながらも、結局どこへも出かけることはなく、
広島に滞在、自宅で過ごしていた。
ただ恐々と夏を待ち構えていたにもかかわらず、前半猛暑と言える日がほとんどなかった。
後半は暑さが続く日もあったが、それでも大したことなく少々拍子抜けだった。
今年の夏、そして今日などは朝夕すっかり涼しくて、
もう秋すら感じさせもする。
さて、最近は作曲活動もすこし休止中?
いや、次の企画に向けての構想と準備を進めているところ。
相変わらず、シアターピースや演出をともなう作品の創作への想いは強くなるばかり。
それならば、じっくりとそれを再現できる空間が必要とも考えている。
クラシックのコンサートは、あのいわゆるお決まりのコンサートホールで、
ステージ上から流れてくる音楽を、息が詰まるくらいの緊張の中、
じっと聴き続けるのが一般的だと思われる。
もちろん音のみに集中できる空間は重要で、私自身コンサートホールに興味がないわけではない。
ただ、いつも感じるのだが、それだけじゃ形態的に飽きないかと?
かといって、あの空間では演出の可能性は限られているわけで、
どうがんばっても、出来ることは学生の学芸会程度のことが限界だろう。
どのように空間を造り、またその演出はどうなるだろうか。
コンサートホールは、音楽家にとってもマンネリと時代遅れの代名詞となってしまってはいないか。
聴衆にとっては、「行くにはすこしだけ面倒な場所」で、
一般市民にとっては前の時代の国の無駄遣いと、官僚のなんとかだったりするのだろうか。
予期できないことが、そこにあるかもしれない。
そこでなにが起こるかまったく想像できない。
そのことでなんだかとてもワクワクする。
その空間を共有することでしか感じられないもの。
そんな場所やものでなければ、本当に大切なものや、情熱は、
不完全燃焼のまま、お手軽に消費されるものとなってしまう。
エームジーク企画の活動、そして自分の音楽を支えてくれているピアニストの太田太郎氏。
今回、新曲のピアノ曲「KINOHON(キノホン)」を、彼の企画によるコンサートシリーズ「音間」にて、初演していただくことなった。
実はKINOHONは2007年の暮れに完成させたが、その後太田氏に曲を渡したきり、私の希望により初演を延期していた。曲を渡しておいてストップをかけるとは迷惑な話だが、太田氏は心よく了解してくれた。
渡した後だが、それでも曲が演奏されるわけにはいかなかった。
たった4ページ、3.4分の曲ではあるが、また何度も改訂を加えようやく完成させた曲だったが、その曲には何かが欠けていると感じていた。
そして一年以上が経ち、その欠けているものが響きの充実感であることを知った。
改訂前のものは、とてもストイックで無駄の一切を省いてしまっていた。
作品は、自分の中にある音楽に逆らわず、それをまったく無駄もない状態で楽譜に表記されなければならない。
そんな脅迫観念に囚われていたのかもしれない。
確かにそのような姿勢は大切なものだとも思える。
だけど、時としてそれは音楽のもつ多様性を殺してしまうことにもなるのだろうか。
人間一個に例えると、その人間のほんの一部分が変わったことによって、その人間はすっかり別のものに感じることがあるだろう。そういう意味では曲もまた同様、いやむしろそれ以上の変化を音楽に見い出すだろう。
そのようなプロセスで生れたこの曲が、演奏家によって現実の音となったとき、まさに多様な音の変化を見せてくれることを作曲家としては期待したい。
そして今回この曲を取り上げていただく太田太郎氏に心から感謝したい。
サロンのひととき「音間」 第4号
(企画/構成: 太田太郎)
ソプラノとピアノ
山田耕筰のとき 第一章
高部さち(ソプラノ)
太田太郎(ピアノ・企画構成)
日時 2009年9月12日(土)
会場 相模原市立あじさい会館
料金 1000円(自由席)
65歳以上の方は無料
チケット取り扱い
Eメール info@emusikproject.com
主催 エームジーク企画
後援 相模原市教育委員会、相模原市社会福祉協議会
政治について私たちが個人の意見を述べるのはまだまだ難しい。
そんな自由を、私たち一般市民はまだ得られていないようにも感じる。
政治的行動において、はたして何が正しくて、何が間違っているのかということを、
どれだけたくさんの情報を集めようとも、いっこうにそのことを知ることができないようにいつも感じる。
たとえば、あなたの政治的な主義主張はなんですかと問われれば、
今現在私は無党派層といわれる部類に属しているとだけ答えるだろう。
誇れることではないけど、これまで私は日本の政治について深く考えたことはない。
そして、なんとなく政治参加などしたくないとさえ感じていた。
それはあえて過激に言うならば、私たちのこの日本という国に対して、どこか胡散臭さを感じていたからかもしれない。
それは私がなにかに抵抗していたから。
その不恰好な社会秩序を維持するための権力に。
いびつに歪められた欲望の共有に。
個ではなく全体のみが尊重されるこの社会に。
私たち国民のほとんどの者が、政治になどまったく期待などしていない。
政治にたいしての不信感は昔から今までなにも変わってはいない。
そして、今日国の政治は愚を極めた。
その槍玉にあがったのは、これまでの政治を戦後一貫して担ってきた自民党だった。
ふと自由民主党とはなんだったのだろうかと振り返りなら、
そんな日本における自由民主党とは、
まさにアメリカ風な、カリカチュアを超えて、ジョークなのかとすら思えてならない。
そんな自民党の現在の総裁、
麻生太郎とはなんだったのだろうか?(この時点でだったという過去形は問題だろうか)
麻生太郎は去年9月に自民党総裁、内閣総理大得臣に就任した。
麻生太郎は前任の安倍晋三の辞任を受け、国民不在による自民党内での政治力学によって選ばれた。
ただ、麻生総理が選ばれた理由はなんだっただろうか。
それは国民にとって親しみのある、とくに若者たちにも人気がある(キーワードであるマンガ、アニメ、サブカルなどによって)というプロパガンダと、そのネタで儲けようとしたマスコミによって、麻生人気がつくられたからである。
実際に麻生総理は若者文化に造詣があるのか。
私ははっきり違うと言いたいし、かなりの人がそうではないと考えているのではないだろうか。
あれは完全にフェイクだろうと。
彼はこれからの荷い手である若者のことを一番理解している政治家であると、
若者たちのことをまったく分からない年輩の自民党員に向けて演出を施した。
若者文化に関心はある風を装ってはいたが実際は造詣などほとんどなく、また
実際の若者たちとの相互の共感などもなかった。
麻生太郎という政治家は、吉田茂の孫であるということ以外に「若者たちの代弁者」、
彼の言う「世界に発言する英語力」をセールスポイントにしていたが、
首相就任後まもなくそれらの売りのメッキは剥がれた。
そしてつまり世襲という吉田茂の孫という血統だけがそこに残った。
今でも総理の椅子に座った麻生総理の、「ついにこの地位を手に入れてやったぞ」というあの表情を忘れられない。
総理になりたい。
ただ総理になることだけが彼の目指したところだった。
今政治に失望する有権者に何ができるのか?
この人ならと思える人物が、私たち側から現れるまで、
じっとその時を待ち耐えるしかないのだろうか。
そして傍観するほかないのだろうか。
それは受身な態度であろうか。
それは決して受身などではない。
それは自分たちを守るための自然体な態度でもある。
たちまち私たちが政治について述べることが自然体というわけにはいかないが。
音楽を大切に想う気持ちが、偽りなく自分の中にはある。
音楽を大切だと気づいたのはいつだったか。
音楽を仕事にしたいと思ったのは少年期だったけど、
きっと幼い頃より音楽への傾倒は強いかたちであったように思う。
いまでもそのかたちは、具体性のない憧れとして心に残る。
音楽に対してのまったく個人的な想い。
もっと静かでやさしくて、自然に流れるもの。
嘘がなくて、虚栄がなくて、大したものでもない。
そう、自分の大切な人たちと、
自分だけのまったく個人的な音楽。
音楽は当たり前のかたちでこだまする。
個人的な、そんな音楽じゃ、誰かを救いなどしない。
誰かが必要などしない。
たとえそうだとしても、一生を通じて大切にするべき、そんな音楽。
大切なものは、きっと本当に個人的な音楽でしかないだろう。
平成7年に制定された高齢社会対策基本法の前文には次のように記述されている。
我が国は、国民のたゆまぬ努力により、かつてない経済的繁栄を築き上げるとともに、人類の願望である長寿を享受できる社会を実現しつつある。今後、長寿をすべての国民が喜びの中で迎え、高齢者が安心して暮らすことのできる社会の形成が望まれる。そのような社会は、すべての国民が安心して暮らすことができる社会でもある。
しかしながら、我が国の人口構造の高齢化は極めて急速に進んでおり、遠からず世界に例を見ない水準の高齢社会が到来するものと見込まれているが、高齢化の進展の速度に比べて国民の意識や社会のシステムの対応は遅れている。早急に対応すべき課題は多岐にわたるが、残されている時間は極めて少ない。
総務省統計局の調査によると、平成20年(2008年)の高齢化率(65歳以上の高齢者人口)は、22.1%である。この高齢化率は世界で最も高い。21%を超える社会を超高齢化社会と呼んでいる。
さて、この高齢化率の全国平均はもちろん過疎化が進む地方ではもっと高い数値となっている。しかしながらここ廿日市市は20年の調べで21%と全国平均よりもやや低い。平均よりも到底高いとたかをくくっていたが意外だった。
ただし、将来の高齢化率の増加は著しく、、平成27(2015)年の高齢化率は27.1%と増加するものと見込まれている。廿日市市は今後10年で急激な人口減少と高齢化率の上昇が待ち受けているらしい。もしかしたら市が予測するよりもさらに急激な変化となるかもしれない。
21%を超えた高齢化率の社会を超高齢化社会というらしい。そしてこの予測される推移だと、50年後には日本の高齢化率は40%を超える計算となっている。
50年後の日本社会を考えるというのはさておき、5年後には30%に迫るという廿日市市の高齢化率、これはかなり緊迫しているように思える。どのような状況、環境にあっても、社会とは無縁でありえないという創作家にとって、この超高齢化社会における創作活動とはどのようなものになるのだろうか。そしてそのような社会での音楽とは。
山縣良和さんがデザイナーを務めるwrittenafterwards(リトゥンアフターワーズ)http://www.writtenafterwards.com/というファッションレーベルがある。このリトゥンアフターワーズの今回のコレクションがとても素晴らしかった。
writtenafterwards(リトゥンアフターワーズ)、09/10年秋冬コレクションhttp://www.afpbb.com/article/entertainment/fashion/2589393/3994272
(AFPBB news より)
ようやく彼のやりたかったことが、はっきりと前面に出た。
なので、とてつもない才能を見せつけることと、なってしまった。
それと同時にこれまで、リトゥンアフターワーズは山縣さんと玉井健太郎さんの2人のデザイナーで活動していたが、今回を最後に玉井さんが独立し、山縣さんが単独でレーベルを続ける事となった。
去年の金融危機による不況の煽りは、ファッション業界を直撃した。
このことは、若手のデザイナーたちにとって、かなり深刻な死活問題である。
今回の東京コレクションで唯一、何か意味のあることをしたのは、リトゥンアフターワーズだけだったように思えた。
こんなものは売れないもの?
バカバカしい意見。自分にはその作品が、美しいと感じるし、
なによりも山縣さんがデザインした、リトゥンアフターワーズの服ならば、なんとしても着たいと思えるもの。
たとえ無理してでも、手に入れたい。
自分にはそう思えた。
(山縣良和さんの一ファンとして)
ショーで使われた音楽もとても良かった。
今の自分にはああいうものは作れないと、強く感心させられた。
廿日市市阿品フジグランドナタリーにある、海沿いのイタリアレストラン、マリオ・ディ・マーレで、ディナーと音楽の夕べという、コース料理とライブ音楽を合わせたイベントを開催した。
驚きの喜び、2週間前には予約でいっぱい、大盛況であった。町の音楽家とそこに住む人たちの良い交流になったのであれば心から嬉しい。今回のようなディナーショー、エームジーク企画の理念から逸れているのでは?という疑問を持たれるかもしれない。ただ、今回の催しの目的に、私にぶれはなかったつもりだ。音楽家、主催者、レストラン、お客さん、みなそれぞれに、その時間を共有できたことで、とてもよい影響があったのではないかと信じている。
ただ、今回の催しでいくつか反省すべき点があった。たとえば、その一つは開場側(レストラン)側との連帯と意志の疎通が不十分だったこと。今後のエームジーク企画ために、改善努力をしていきたい。余談だがこの不況、レストラン側の経営の厳しさを痛感せずにはいられなかった。
さなぎから蝶へ
天才は閃く
感性は煌く
そしてパピヨンのごとく
その願う目的の場所へ、
すべての力を注いで、迷わす進んでいく。
何者かによってそれが否定されたならば、
その阻害に打ち克ってほしい。
才能は一個人だけのものでなく、
すべての者のためにある。
迷ってはいけない。
助力するものたちは、
その才能を決して見逃してはならない。
その才能の支援者となるべき。
才能と嘘の才能を見極めるための冷静な目。
先天的な突出した才能というものは、
必ず存在する。
安価な努力では、到底およばないもの。
その才能は至る場所に見つけることができるが、
人々がそれを感じ取る五感は著しく退化した。
そして才能は無駄に捨てられる。
私たちは、真の才能を支える義務がある。
Author:オカベノリカズ
作曲家。広島県廿日市市を拠点とする音楽活動、エームジーク企画(http://www.emusikproject.com)を主催。現在新しい舞台作品への可能性を思索中。